現代社会は使い捨ての人工物で溢れている。SDGsにより、繰り返し使えたり、可変的な人工物が生み出されるが、それらを保持するにはメンテナンスが必要であり、面倒に感じて使い捨てを選んでしまう。その流れに対して、私は現物として思い出の物を取っておくことを大切にしている。その理由は未来の自分の道しるべとしたいからである。使用していた頃の自分と比較し、今の自分の形を取り戻し、自分自身を映す鏡として機能させる。
 社会の流れは、使用者と人工物の紡ぐ時間が無くなることを示しているかもしれない。それは、自己を映す鏡としての役割を失い、飛び込んでくる情報に過敏に反応しやすくなる社会に繋がっているのではないか。自己のアイデンティティを映す役割を失い、大量に使い捨てられていく人工物は人々の大切な核をぼかし、ゆっくりと地球環境も壊していく。
 もしも、人工物が時間の概念を有し、使用者の記憶を映す鏡として永遠に機能してくれたらどうだろうか。人工物が自ら変態し、死ぬまで自身のアイデンティティを映す鏡となる。消費され続けるのではなく、物自体が生存権を持ち、人々の大切な核を照らす役割を取り戻せば、社会は確固たる自己を持った人間で構成され直されるかもしれない。その最初の試みとして、ビンを脱皮させることにした。

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